Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第3話 ~市場直結ECへの挑戦~

こんにちは。社長室兼システム部の山城です。

今日はシステム部山城として弊社のWEBサービス・WEBサイト開発目線で、食文化のこれまでのあゆみについて振り返ってみたいと思います。

 

の前に、そういえば、私自身の素性をお話ししていないことに気づきました。
ここには書いてあるのですが私は食文化に入る前、新卒で日本アイ・ビー・エム株式会社に入社し、約9年間を過ごしました。
IT業界大量採用の時代だったので、同期が700人くらいいました。
大学時代は量子化学を選考しておりITに全く関係ない学部ですし、特別優秀だったわけでも、英語が得意だったわけでも、熱烈な思いがあったわけでも、これといった特技があったわけでもないので、おそらくキャラ枠採用だったと自覚しています。。。
当時、女性活躍推進の先駆けで、女性の管理職を増やすことに取り組んでいたので、女性採用に積極的だったというのはあったかもしれません。

入社直後は、社内の技術部門にてアセットマネジメントやテクニカルサポート的なお仕事をしていました。
でも、仕事の思い出より、ほぼ毎日飲み歩いていたアフターファイブ(死語のようです)の思い出の方が強いです。
なんとなく社内の仕事が向いていないな~飲みだけでなく仕事もちゃんと形にしたいな~という思いが募った3年目の時に、上司に相談して異動し、某保険会社の基盤系プロジェクトに参画することができました。
テクニカルなところでいうと、Windows、.NET、SQL Server、Webアプリケーション開発、マネジメント面ではプロジェクトマネジメント、構成管理、テスト管理、プロジェクト推進といったスキルを付けるすることができました。
現場は、かなり忙しくて定時退社なんてなかったし、朝まで仕事してタクシーで帰って2時間寝てシャワーを浴びてまた出社という日々が続いたこともあったし、トラブルやプロジェクトが完了できずに涙したこともありましたが、達成感は半端なかったです。
そして入社9年目の時に、今後のライフプランを考え、ずっと心にあった「食の仕事がしたい」という思いを実現しに食文化に入り、これまでの経験が生かせるシステム部と新規事業部に配属され、今に至ります。

 

すみません。
自己紹介が長くなりすぎました。

 

さて、話を戻して、第2話では日商100万円を超えた軌跡をおはなししました。
少し軌道に乗ってきた食文化、食でビジネスするなら市場を押さえるべき、となり、新宿にある淀橋市場に話をしに行きました。
マニアックな野菜を取扱いたく仲卸を訪ねたのですが「そんなもの、うちじゃ無理だよ」と言われてしまい、豊洲市場の大卸東京シティ青果株式会社を紹介してもらいました。

今でこそ豊洲市場は閉鎖型の建物で温度管理され、豊洲市場をつなぐ統合ネットワークも完備、セリ人たちもiPadを使いこなし、LINEで連絡が来たりもしますが、決してIT化が進んでいるとは言えなかった当時の築地市場は、メールなんて使われておらず、電話、FAX、紙が主流でした。
なので最初は「EC?なにそれ?」「インターネット?はぁ?何言ってるの?」とかなり厳しい扱いを受けたと聞いています。
売上も取り扱い規模からすると微々たるものだったので立場が弱いのは当然です。

 

水産は、カネフジの藤田社長にコンタクトを取り、鮮魚にこだわって販売をしました。
今より魚種があったので、とことんマニアックな企画ができました。

 

商品の検品や出荷は、萩原社長と元有名デパートの青果バイヤーであった社員の2名で行っていました。
件数が2件だけの日もありましたし、100件近くを2人でさばいたこともありました。
もちろん出荷だけをやっていたわけではないので、出荷が終わったら中野の事務所に戻り、新商品の撮影、商品ページ作成、お客様からの問い合わせ対応など大忙しでした。

 

そして、築地市場の買参権を取り、2005年1月に2つ目のサイト『築地市場ドットコム(現豊洲市場ドットコム)』をオープンしました。

プログラムはうまいもんドットコムのほぼコピー、デザインはうまいもんドットコムをベースに色味や配置を調整する形で構築したので、開発期間は2-3ヶ月(専属ではなかったので実質工数はおそらく半分くらい)でした。
スマホ登場前なので、PCだけを意識していればよかった時代です。
かろうじて携帯で閲覧可能なiモードサイトは世の中にはありましたが、画面が小さく操作性が悪い上に、HTMLの規格も違いできることが少なかったので、作ってはいませんでした。

 

その後も、毎日市場に通い、当時高級料亭などに卸されていた千寿葱王様アスパラなどの商品を売り切り、関係を作りました。
1セット数千円の野菜を買う一般消費者がこんなにいるとは、と驚かれたそうです。

 

また、2005年8月の小泉内閣の郵政解散の際に贈答ができなくなるはずだからとメロンが余ることを予想して静岡産クラウンメロンを破格の値段でスポット販売をしたり、福島に台風直撃のニュースを見て台風前に収穫して桃が多く流通するだろうと予想して緊急販売したりして、数を動かすことができました。
その後、朝日新聞の記者であり萩原社長の大学時代の同級生であった友人の紹介で朝日マリオンの折り込み冊子を担当することになり、これが予想外に数を伸ばせた頃、最初は半信半疑だった市場関係者からも、「なんだ、食文化やるじゃん」とか「インターネット通販っていいかも」と思ってもらえるようになったそうです。

 

2007年からは楽天市場やYahoo!ショッピングなどの大手にも出店し、市場直送ECの草分けとして、多くのお客様に賛同いただき、約10年間の間、いわゆるアワードも多くいただくことができました。
しかし、モール参入当時はフルーツ販売のリーディングカンパニーであったものの、モール店は競合店が多くどうしてもお客様にとって価値を感じやすい価格の勝負になってしまうため、良いものをきちんと説明して、適正価格でお客様にお届けしたいという思いで、現在は自社サイト中心の運営に切り替えています。

 

簡単で誰でもできてそこそこ儲かることはすぐに真似られてしまいます。
そのため、食文化では、マニュアルで出来る事は1日でも早く卒業し、多様で複雑な技能を習得することを重視しています。
バイヤーがバイイングだけしかできなかったら仕事の範囲が狭まりますし、様々な職種の人を集めなければいけないので人件費があがります。
1つのことに必要以上の人が絡むと打ち合わせばかりが増え、コミュニケーションのオーバーヘッドが発生し、伝言ゲーム的な間違いも出てきてしまいます。
企画して、仕入れて、料理もして、コンテンツも書ける、お客様対応だって、出荷だって理解している、広い技能を持っている人を増やすことが、コミュニケーションミスをなくし、圧倒的な差別化を進められることになり、参入障壁になると考えています。
インターネット販売の世界は見た目の手の内が露呈してるので見えない部分の複雑化は大事です。
マニュアル化できないことを、そして、大手にはできないことを、真似されないように泥臭くやる、その精神は今も食文化のビジネスの基盤です。

 

第4話に続く・・・

Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第2話 ~やっていける、と確信した瞬間~ Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第1話 ~食文化創業とうまいもんドットコムオープンまでの道のり~