Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第2話 ~やっていける、と確信した瞬間~

こんにちは。社長室兼システム部の山城です。

今日はシステム部山城として弊社のWEBサービス・WEBサイト開発目線で、食文化のこれまでのあゆみについて振り返ってみたいと思います。

第1話では無事「うまいもんドットコム」をオープンしたものの、初日の売上が16,044円だったところまで書きました。

ちなみに私は2012年入社なので、まだまだ食文化を知らない時代のおはなしです。

さて、その後もうまいもんドットコムの注文数は思ったように伸びませんでした。
初月こそ、オープンの案内をした知人たちがお祝いにと買ってくれたり、日本テレビ系列の夕方のニュース番組「ニュースプラス1」で「開業ドラマ」として創業からの様子が取り上げられたりして、(しかもその放映の日が台風で帰宅しているサラリーマンが多かったラッキーも重なり)163件売上100万を超えましたが、9月は97件、10月は101件と80万円を切り、年末年始のごちそうで食にお金を使う12月ですら370件300万円でした。
300万円というと今の豊洲市場ドットコムでいうと、いい時のメルマガ1本での売上です。

そして、創業から1年、食文化史上最大のピンチがやってきます。それは資金繰りです。
4千万円の出資金を全て使い切り、資金ショートしてしまいました。
また、創業時に雇用した社員が当時の経営を不安に感じ、全員辞めてしまいました。
一緒に起業した副社長の今川氏も「これ以上報酬をもらえないから」と食文化の経営から退くことになりました。(とはいえ現在も食文化の株主様です。)
そのため、商品企画、サイトの運営、問い合わせ対応、出荷事務処理、加盟店への振込などを、萩原社長とアルバイト社員2名でやっていました。
(ちなみに、このアルバイト社員のうち1名は現在も食文化で従事しており、先日勤続20周年で表彰されました!)

萩原社長自身の給与を税金等最低限の支払いができるギリギリの10万円まで下げ、社会保険や加盟店への支払いは創業時に申請した雇用助成金とクレジットカードの入金でなんとかつないだそうです。

システム開発についてももちろん、コストをかける余裕がなく、運用で出てきたクリティカルなバグつぶしとサーバーの保守のみでした。
今は月額固定費でエンジニア数名と契約をしていますが、当時は追加開発1本単位の契約で、資金調達ができたタイミングでしか大きな機能追加ができませんでした。

また、システム担当だった今川氏が辞めてからは、システム仕様の調整は萩原社長が行っていました。
当時の様子をKenji氏に聞いてみたところ「他にもクライアントが何件かあったので、単発の仕事として割り切ってやっていました。ただ、印象的だったのは、日本の夜中になりそのメールがその日の最終だと思ったら、3時間後にメールが来ました。3時間しか寝てないということを理解しました。」とのことでした。
萩原社長も当時は働き盛りの(?)40歳。
企業をするということは並大抵な覚悟ではできないし、多少の無理も必要だったのだな、ということを改めて思い知らされます。

お金も睡眠時間もギリギリの生活だった一方で、食を扱う会社なので、食事には困りませんでした。
当時、仕事で知り合った方々を呼んで、本社の事務所にあった囲炉裏を囲んで、おもてなしをしていました。
そんな会の中で、カカクコムの当時の代表取締役穐田氏から発せられた「当社では1日1回プレスリリースをすることをノルマにしている」という言葉に感銘を受け、萩原社長はその時に、「毎日新しいことをして、メディアから取材の来る会社にする」と心に誓ったそうです。

社員の数が35人になった今の食文化でも
– 新しいことをする!
– 慣れた仕事、安易な仕事、価値が乏しい仕事をしない!
– チャレンジやリスクを恐れない!
というマインドは日々鍛えられています。

そしてその後、毎日新しいことをする、を実行し続けた結果、週刊ダイヤモンドで特集された「営業最前線で見つけた売れる7つの法則」に取り上げられたり、週刊宝島に「究極の取り寄せ 名品ガイド」が掲載されたりして少しずつ知名度を上げていきました。
また、TBS系列の「王様のブランチ」でうまいもんドットコムの前週の売上ランキングを紹介する企画が始まり、売上が徐々に上がっていき、2003年12月1日、初めて日商100万を超え、その月は2,369件約2,200万円を達成しました。
この時はじめて「これで今後やっていける」と確信したそうです。

この頃には採用活動を再開できるような財政状況になっており、社員は3人に増えました。

第3話に続く・・・

Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第1話 ~食文化創業とうまいもんドットコムオープンまでの道のり~