Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第4話 ~dancyuドットコムオープン、10年間温めていた事業が形に~

こんにちは。社長室兼システム部の山城です。

今日はシステム部山城として弊社のWEBサービス・WEBサイト開発目線で、食文化のこれまでのあゆみについて振り返ってみたいと思います。

この連載も第4話目になりました。
もう少し続きそうなのでお付き合いください。

 

そもそも何故私が食文化の歴史を掘り起こしてみようと思ったかというと、きっかけは2022年4月2日食文化創業21周年に豊洲市場ドットコムの会員様向けに萩原社長が書いたメルマガでした。
そのメッセージを読んで、創業時から積み上げてきたものを、私を含めあとから入社してきた人たちは、理解しておかなければいけないな、と思ったのです。

 

~2022年4月2日のメルマガより抜粋~

(株)食文化は創業21周年を迎えましたが、豊洲市場(移転前の築地市場)でECを始めたのは18年以上前です。

ECはおろか、インターネットすら、卸売市場の人々が理解しなかった時代です。

「はぁ?インターネットで販売?そりゃなんだ?」が普通のリアクションで、コンクリートの競り場で、段ボール箱を組み立てて、野菜やフルーツを詰めていると、「お前はなんだ?八百屋か?」みたいに言われることも何度もありました。

その2年後、今から16年前に水産物の扱いも始まり、私の築地市場通いは続きました。

青果で最初に撮影したのは茨城の桐箱入りキストマト
水産で最初に撮影したのは青森の立派なフジツボ

今でも味と香りを鮮明に覚えています。

・・・・・

(後略)

 

今、普通に豊洲市場ドットコムなどのサイトがあって、市場や全国の加盟店とお取引ができて、案内したら購入してくれるお得意様がいて、twitterで呟いたら反応してくれるファンがいて、食を学べる環境があって、休みもちゃんとあって、ボーナスも出て・・・それが当たり前になっている、それを1からあえてやり直して体験する必要はないけれども、これまでの道のりを理解しておくことは、この先の食文化を築く上で大事なことだと思ったのです。

 

さて、本題に戻ります。

うまいもんドットコムがTVで紹介されたり、豊洲市場ドットコムをオープンして実績を上げていくと、ありがたいことに様々なところから声がかかるようになりました。

 

旨いもの取り寄せ専門誌である「別冊メイプル」で「築地市場直送!極上野菜&果物」という特集をカラー4ページで掲載したり、日経おとなのOFFの「秋の極上グルメはこれだ!」という特集で、萩原社長が他の美食に精通した業界人と一緒に旨いものは何かを語りつくすというコンセプトの座談会に参加したり、新聞や雑誌の取材を多く受けました。

 

2007年にはテレビ東京系列の「ガイアの夜明け」の【特産品が地方を救う・・・「~ふるさと再生の仕掛け人たち~」】という特集に取り上げられ、枝ごと販売した島バナナや秋田森岳のじゅんさいなどの取り組みが紹介されました。
(この放送内容は食文化の原点を考えるとても感慨深いものだったので、いつか番外編で紹介します!)

 

「コラボしませんか?」とお誘いくださる企業も増え、株式会社オールアバウトとは産直品・お取り寄せレシピのコラムを担当したり、株式会社ぐるなびとはぐるなびサイトのECを協業したり、誰もが知る法人の大型キャンペーン案件を請け負ったりしました。

 

他にも結婚相談所とコラボして料理をしながらの婚活パーティーの支援なんかもやりました。
スプマンテで乾杯しつつ、萩原社長が講師をして、骨付きイベリコ豚、松茸のパスタを作り、6組中5組が成立したそうです。
共同作業(料理)でお酒も入って会話が弾むでしょうし、包丁技術は不要ないわゆる家庭的ではない、男性がリードできるメニューだったから、女性から見たら『この人頼れる!素敵!』と感じ高確率で成立したのでは、と昔から恋愛リアリティ番組が大好きな私、山城は見ています。

 

また、2008年には、リーマンショックの影響もあり戦後最悪と言われる厳しい不況の中、ガイアの夜明けを見た秋田県庁の担当者からの問い合わせをきっかけに、秋田県の地域の食を活性化する行政事業の案件受託につながりました。
案件受託後、毎月秋田に行く生活を2年間続けました。
秋田の案件で知り合った鹿角短角牛の大門商店あきたこまちとささにしきの須田さんいぶりがっこの高橋さん比内地鶏の土田農場味噌と醤油の石孫本店ハタハタとしょっつるの三浦米太郎商店などとは、今でも良きパートナー関係が続いています。
その後、行政事業案件の受託も増えました。

 

開発面では、2009年に株式会社ジェーシービーと提携し、築地市場を中心とする全国の食材販売者と飲食店等とを結ぶBtoB販売を決済支援サービス『うまいもんPRO』の運営を開始しました。
ざっくり言うと、市場でクレジットカードを使えるようにするための仕組みを作りました。
が、しかし、現金主義の市場、思ったように利用者が増えず、5年経たずにクローズ・・・。
萩原社長いわく、「構想はよかったけど、世の中の流れの2-3歩先を行き過ぎた」そうです。
PayPayやLINE Payなどキャッシュレスが当たり前になった今なら、そのハードルはもっと低かったのかもしれません。
でもこれもやってみなければわからなかったことです。

 

2010年には、テレビ番組『秘密のケンミンSHOW』と連動したECサイト『秘密のケンミン館』のシステムと運営を受託しました。
実際に収録に参加して、紹介される商品の中から取り扱いできそうなものを選定して、店舗にアタックして販売、その間ほんの2週間です。
かなり短い期間で販売まで持っていかなければいけませんでしたが、商品企画、撮影、販売、システム、カスタマーサポート、出荷、すべてを自社で行い、一気通貫にこなせる食文化だったからこそ、このスピード感で進められたのだと思います。
 

条件合意まで行かなかった店舗さんも多く、販売できることになったとしても編集で尺が短く空振りだったり、司会のみのもんたさんのちょっと渋いコメントが取り上げられたら売れなかったり、なかなか苦労が多かったそうです。
そんな中でも大当たりもあり、姫路のご当地グルメとして登場した葡萄屋の「アーモンドバター」が大売れして、サーバーダウンに。
1日で数百万の売上を達成したこともありました。
また、瀬戸内市周辺に住む岡山ケンミンが大好きな夏定番のごちそうとして紹介された「そうめんかぼちゃ」も反響が大きかったです。

 

この時始めてiモードサイトの構築にも着手しましたが、なんせ画面が小さく使いにくく、機能も限定されていたので、そこまでの効果はありませんでした。

 

約3年後、先方の事情によりサイトはクローズしましたが、その時にお取引を開始した株式会社味の加久の屋とはその後、凄い鯖缶をお願いして作ってもらえるまでの関係になっています。

 

そして、同年、食文化がもう一歩進むためには、絶対的看板がほしいとなり、プレジデント社に大人のグルメ雑誌『dancyu』とコラボした通販サイト構築の相談を持ち掛けました。
アポを取ったのは2001年うまいもんドットコムオープンの広告を出した時にお世話になった当時の広告本部長の及川氏です。
dancyuの通販は創業のころから構想にあり、dancyu.comのドメインは創業時に取得していました。
食文化としては端的な言い方をしてしまうと、「条件なんかどうでもいいからdancyuドットコムを実現したい」という気持ちがあり、様々な調整の結果、協業を進められることになりました。
まさに、温めていた事業が9年後にようやく形になりました。

のちに食文化の取締役となる町田成一氏との出会いもこの時でした。
萩原社長いわく、「dancyu.comは編集長が町田さんだったからうまくいった」そうです。

 

秘密のケンミン館やdancyuドットコムを食文化が運営を開始したことにより、会社HPにもdancyuの名前を記載することができました。
また、名刺交換時に「秘密のケンミンSHOWやdancyuの通販サイトを運営している会社です」と言えるようになり、ビジネス面での信頼獲得につながりました。

そして、この頃には社員は25名程度に会社は成長していました。

 

第5話に続く・・・

Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第3話 ~市場直結ECへの挑戦~ Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第2話 ~やっていける、と確信した瞬間~ Webサービス・Webサイト開発の歴史から紐解く食文化 第1話 ~食文化創業とうまいもんドットコムオープンまでの道のり~