古田メロンの品種は「純系高松」
アフリカ原産のメロンがイギリスに渡り『伯爵のお気に入り』と珍重されたアールスフェボリット種の末裔。より優秀な個体から種を採ることが繰り返された“純系”として昭和50年頃までは渥美半島全域で栽培されていた。しかし、市場需要は大玉だったことに対し、純系高松は小玉傾向。病気抵抗性もなく栽培が極めて難しく、強健なウリと交雑させたF1品種メロンが開発されると生産者はそれに飛びつき、純系高松はいつしか姿を消した。
「高松は美味かったなぁ、純系だもんなぁ」「でも、今はもう無い」
夏になると石井さんの父・忠秀さんがそう呟いていたという。
子供の頃みた映画「男はつらいよ」で、メロンをめぐり家族騒動になる場面をふと思い出す。あれが純系だったのかもしれない。そんなに美味ならどこかに残っているはず、そんな想いで探して求めると種を守っていたたった一軒の愛知県古田(こだ)町の農家渡辺いと子さんにたどり着く。石井さんは敬意をこめ「古田メロン」と名付け、復活を誓った。
その味わいは復活一年目で食べる人を皆虜にした
純系ゆえウリの香りは一切なく、生粋のメロンの味わい、完成された甘さを持つ。驚きなのはその滑らかな質感。 一般にくちどけの良いメロンは「メルティング質」と表現されるが、 古田メロンは、その上をいく滑らかさ。縦にも横にも舌を遮る繊維がない…
栽培一年目の昨年はその美味しさから、食べた人からも続々と追加が入り、注文が殺到。最終的に購入できない人もいたという。世界的に有名なパティシエからも称賛をうけた。
それほど美味いのに姿を消した…絶望的な栽培難度
純系がゆえ病気抵抗性が無く、とくに根からの病気にはすこぶる弱い。
昨年は植えた250本のうち100本は倒れた。
どんなに食味が良くても育てやすいF1種(改良種)にとって代わられたのも無理がないほど
農家泣かせの純系高松…
通称、メロン博士 “小森山くん” 参戦
“小森山くん”は小学2年生から、100種類以上のメロンを育て、南九州 大学大学院園芸学修士課程を修了した、ちょっと普通でない人物。ずっと探していたメロンだ!と石井さんのもとへ転がり込んできたのだ。
メロン栽培の基本は、健全な木をつくること。小森山くんは代謝やホルモン分泌、光合成の具合など、植物生理学の側面からアプローチし栄養の量とバランスを見極める。
ハウス内は生命力に溢れ
飲みこまれそうな迫力がある
“小森山くんと議論を重ね、栽培方法や土づくりを一新。
例えば、着果後も成長点を落とさず、天までツルを伸ばし続けるという「雲竜仕立て」 通常、養分を集中させるため、一果以外は整えるのがセオリーとされるが、葉をたくさん残し(通常20枚前後のところ30枚!)光合成を強く促す。 ゛子メロン”もあえて生らし、肥大する直前に摘果する。
管理にはかなりの手間がかかるが、この時に分泌される成長ホルモンの一種(サイトカイニン)が木の生命力を維持するには不可欠だという。 新しく、子メロンを作れるくらいの勢いがないとその木は古田メロンを収穫まで守れないということだ。
やっと味わえる「古田メロン」
それはもう、特別な味。
収穫までの残り約2週間は木の栄養をすべて一果に込め、甘さを蓄える大事な時期。
ここを乗り越えたその先にある未体験の甘さ、くちどけを味わってほしい。 お届けまであと少し!
産地取材が制限されていた中で一番に会いに行きたかった方が石井さんと小森山くんでした。石井さんは古田メロンへの情熱だけでなく、感覚・感性がとても鋭い方。剣舞踊でNYカーネギーホールに立ち、大河ドラマのスタントマンを経て地元に戻ると独学で鮨を修行。(東京からのお客さんがくるほど評判に)包丁を置くと家業のトマト農家を極め、今に至る…と、己の感覚で人生を切り開いてきた方です。
メロン栽培も天候、日照など無数の要素が重なるなかでの水引や温度・湿度コントロール目の前で起きていることをどこまで感じ取り、どのように対処できるか、だとすると感覚・感性の石井さん、そして知識・経験の小森山くん、今年の「古田メロン」栽培も隙なしの布陣です!
それでも力尽きてバタバタと倒れる古田メロンの木姿を見ると、この二人でしか、収穫までたどり着けないメロンなんだと感じます。
今後も追い続けます!
食文化:鈴木 愛理