
豊洲市場ドットコムの八尾です。
多くのお客様に愛され、私自身もそのモノづくりの姿に深く敬意を抱いていた浜名湖食品が、2025年9月を最後に、うなぎ加工事業から撤退しました。
今回は、私が実際に見た浜名湖食品の記憶を書き残したいと思います。
豊洲市場ドットコムの八尾です。
多くのお客様に愛され、私自身もそのモノづくりの姿に深く敬意を抱いていた浜名湖食品が、2025年9月を最後に、うなぎ加工事業から撤退しました。
今回は、私が実際に見た浜名湖食品の記憶を書き残したいと思います。

2019年の春、私は豊洲市場の鰻専門業者からある話を聞きました。
「日本最古のうなぎ加工場がある」
創業は昭和9年(1934年)。
静岡県浜松市舞阪にある浜名湖食品です。

浜名湖の養鰻業者が集まり、日本初のうなぎ加工食品とも言われる「うなぎ蒲焼缶詰」を作り出した会社であり、日本のうなぎ加工の歴史を調べるとその名が出てくるほど、語る上で欠かせない存在でした。
その話を聞いた私は、どうしてもこの工場を見てみたくなり、現地を訪ねました。

工場を訪れたのは2019年4月。
平成が終わり、令和が始まろうとしていた時期でした。
そこにはまるで昭和の時代がそのまま残されているような光景がありました。



うなぎに泥を吐かせる立て場。
長年使われ続けてきた設備。
年季の入った機械。

工場全体には独特の空気が流れていました。
最新設備が並ぶ現代の食品工場ではなく、職人たちの知恵と経験が積み重なった「モノづくりの現場」。
まるでタイムカプセルのような場所でした。

特に印象的だったのが、うなぎを捌く工程です。
一般的な加工場では、うなぎを氷で締めて仮死状態にしてから処理することが少なくありません。
ところが浜名湖食品では違いました。
職人が暴れるうなぎを素早く目打ちし、「うなぎ裂き」と呼ばれる専用包丁で一瞬のうちに捌いていきます。

その手さばきは、加工場というより老舗鰻店の厨房に近いものでした。
極厚のまな板には、長年うなぎと向き合ってきた歴史が刻まれていました。

そして焼き。
ここにも浜名湖食品らしさがありました。
通常、白焼きの工程では血を洗い流してから焼きます。
血が残ると苦味や焼きムラの原因になるからです。
しかし浜名湖食品では、あえて完全には洗い流しません。

職人が主導でバーナーを細かく調整しながら焼き上げ、血を旨味へと変えていくのです。
最新の機会はコントロールパネルで一括で温度管理ができるものもありますが、ここには管理されている数字はありません。すべて職人の手と目によって、調整されています。
当時、焼き上がる白焼きの香りを嗅いで、

「白焼きの時点でこんなに美味しそうなのか」
と驚いたことを今でも覚えています。

蒲焼の味を決めるタレもまた特別でした。
工場長によると、
「少なくとも40年は継ぎ足しています」
とのこと。
醤油、みりん、砂糖を、その日のうなぎの状態や気候に合わせて調整しながら仕込みます。うま味調味料などの添加物は一切使いません。
安心安全を追い求めたのではなく、昔ながらの作り方を守り続けると、こうなったという事です。
そして、タレの鍋には前日に残ったタレも加え、少しずつうなぎの旨味を蓄積していく。
同じものを再現することはほぼ不可能な、受け継がれてきたタレがそこにありました。

そして面白いのが、蒲焼の仕上げ方です。
一般的な蒲焼はタレ漬け焼きを何度も繰り返します。
しかし浜名湖食品は一回だけ。それでも浜名湖食品の蒲焼は、旨味と鰻の存在感を感じ、特別な美味しさを持っていたのです。
きっと、人によれば「うなぎ臭い」と感じるほどの、玄人好みの味に仕上がっていました。
この薄いタレの具合は、業務用として高い評価を受けていました。浜名湖食品の蒲焼を店の味で仕上げることで、個性あるメニューとして提供できていたのです。
もしかしたら、いま日本中の鰻屋で「味が変わった?」ということが起きているのかもしれないです。

最終工程も印象的でした。
現代ならセンサーや画像認識で判断しそうな工程です。
しかし浜名湖食品では、一人の工員さんが全ての蒲焼を見ていました。
焼きが甘いと思えば、もう一度ラインへ戻す。
最後の品質判断は機械ではなく人。
まさに昭和のものづくりでした。

浜名湖食品といえば、90年近く作り続けられた「うなぎ蒲焼缶詰」も忘れることができません。
蒲焼を紙で丁寧に包み、タレをかけ、缶に封入して加熱殺菌する。



戦時中には潜水艦にも積み込まれたという逸話が残るほど、長い歴史を持つ商品です。

今回の撤退理由は、工場の老朽化、職人の引退、そしてうなぎ業界を取り巻く環境変化だと聞いています。
私はこれまで多くのうなぎ加工場を見てきました。
しかし浜名湖食品ほど、職人の経験と感覚によって支えられていた工場にはなかなか出会えません。

血を洗い切らない白焼き。
40年以上継ぎ足したタレ。
一度だけのタレ漬け焼き。
最後は人の目で行う品質管理。
それらすべてが、浜名湖食品にしか作れない蒲焼を生み出していました。
浜名湖食品のうなぎ蒲焼は、うなぎの香りが際立つ玄人好みの味でした。私自身も大好きなメーカーだっただけに、撤退は残念でなりません。

こうして記録として残すことで、浜名湖食品という存在が日本の食文化の一部として語り継がれていけばと思います。
最後に一つエピソードを。

昭和20年代、大の鰻好きだった歌人の斎藤茂吉が浜名湖食品のうなぎ缶詰を大量に買い込んで、山形に疎開したそうです。
そして戦後に斎藤は下記のような歌を詠んでいます。
「戦中の鰻のかんづめ残れるがさびて居りけり見つつ悲しき」
